ブラックジャックの歴史

ブラックジャックの歴史

カジノで花形のゲームであるブラックジャックというゲームがどのように生まれたかにはいくつかの説があります。

もっとも有名な説は、第一次世界大戦頃にまでさかのぼり、その起源は1760年代のフランスにあると言われています。今日ではブラックジャックとして知られているこのゲームは、当時はVingt-et-Un(ヴァンテ・アン = フランス語で21)と呼ばれていました。

また、スペインでOne and Thirtyというゲームがあり、最低3枚のカードで合計31になるゲームが起源だという話もあります。

その他には、ブラックジャックはローマ人が発明したというセオリーもあります。ローマ人が、数字が書いてある木のブロックで、ブラックジャックの原型になるこのゲームで遊んでいたとか。この説は定かではないものの、ローマ人はギャンブルが好きだったという事実からも、まったくの論外ではないと言えるようです。

色々な説がある中で、21(Vingt-et-Un)というゲームが人気だったということはまぎれもない事実で、19世紀にはフランスの移民者がアメリカに渡った時に徐々にアメリカに広がっていきました。

アメリカのブラックジャック

19世紀にはフランスでギャンブルが禁止され、ブラックジャックはその後発展していきませんでしたが、アメリカでは人気が上がっていきました。

アメリカで最初のカジノは1822年頃にニューオリンズで現れました。他の州ではまだ合法化されていませんでしたが、ゲームの人気は徐々に広がっていきました。

1854年、Eleanor Dumontという女性がアメリカ西部で話題を呼びました。フランス出身のEleanorは若いころにアメリカに移住し、この頃、いろいろな場所でカードディーラーとして活躍しました。

炭鉱町であるカリフォルニア州のNevada Cityに住み始めたEleanorは、刺激のない炭鉱町で、その美貌とお洒落な洋服の着こなしで一躍注目を浴び始めました。

EleanorはVingt-et-un(フランス語で「21」)という名のギャンブルのお店を開きましたが、女性は入場禁止で、富裕層の男性しか入ることが許されませんでした。

Eleanorは口の上に髭が生えていることからも、Madame Mustache(ひげ夫人)と呼ばれていました。お客を呼び込むためにEleanorは男を誘惑することもしましたが、決して男とは関係を持ちませんでした。

Vingt-et-unでギャンブルをするために、アメリカ各地から多くの男性がこのぱっとしない炭鉱町を訪れたということを考えると、Eleanorの影響力が分かると思います。

カジノの時代

1931年、アメリカネバダ州でのギャンブルの合法化の頃には、ブラックジャックはまだ「21」と呼ばれていました。

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なぜブラックジャックと呼ばれるようになったのか?

当時のカジノ店舗のオーナーは魅力的なボーナスを提供したりして、お客さんを集める努力をしていたようです。

あるカジノハウスでは、スペードのエースとブラックジャック「クラブのJ(ジャック)、またはスペードのJ (ジャック)」で21ポイントを当てた人に10倍のボーナスも提供していたので、そんなニックネームが定着して、ブラックジャックという名前になったようです。

新たな時代

インターネットはあらゆる業界に変革をもたらしましたが、ギャンブルも例外ではありません。インターネットがあれば、簡単にブラックジャックで遊べますし、ここ数年ではモバイルの時代で、スマートフォン、タブレットがあれば、家でコンピューターにへばりついていないでも、ブラックジャックを始めとするゲームをいつでも、どこでも楽しむことができます。

オンラインカジノでは、色々なサイトでブラックジャックをプレイできますし、種類も豊富です。

コンピューターを相手にしてプレイするゲームの中でも、ディーラーのカードが2枚とも見えるDouble Exposureや、プログレッシブジャックポットがあるProgressive Blackjackやカメラ越しに実際の人間を相手にしてプレイできるライブカジノもあります。